私がナイトワークを始めたのは18歳で、大学1年生の頃でした。
大学進学のために地方から上京しましたが、親の仕送りはなく、アルバイトと奨学金だけでは私立大学の学費と生活費を捻出するのが難しかったためナイトワークを始めることにしました。
最初に始めたナイトワークはヘルスです。本当は水商売がしたくてクラブの面接に行きましたが、面接に行くと本当は偽求人ということが判明したのです。待ち合わせ場所には、タトゥーが入ったイカついスカウトマンが立っていました。
そこで短期間で稼ぎたいことを話すと、「水商売よりも風俗のほうが良い。ヘルスなら本番をしなくても良いから大丈夫」という話をされました。当時は風俗で働くことについて深く考えておらず、「稼げるならいいかな」と思いホテルヘルスに入店することにしたのです。
それから社会人1年目の頃までずっと風俗店やキャバクラを転々としながら働いていました。風俗やキャバクラでナイトワークをしていたおかげで、物価の高い東京での生活でお金に困ることはありませんでした。
実際にナイトワークを始めて
軽い気持ちで風俗業界に足を踏み入れましたが、私にとってそれまで風俗店は貧困女性の最後の行き場のような暗いイメージでした。
しかし、スカウトマンの男性に連れて行ってもらった風俗店は全然違いました。可愛くておしゃれな同世代の女の子がたくさんいたのです。
待機場にはドレッサーがあり、メイクや髪を整えて過ごす女の子やおしゃべりをしている女の子がいて、女子会のような雰囲気でした。
「今日は4万円稼ぎたいからあと3時間頑張る!」「今月は60万円稼ぎたいからあと10日出勤する!」と男性スタッフと話し合い、計画を立てて働いています。働いている女の子は、前向きな子ばかりでした。
ヘルスの仕事内容は、初対面の相手と裸の関係を持つものなので、最初はやはり緊張します。お客様と待ち合わせ場所で会うまで、どんな人物なのかがわかりません。30〜40代の男性がほとんどでしたが、なかにはおじいちゃんもいました。
お客様は風俗店で遊び慣れている人が多く、お客様から接客方法やプレイのテクニック、風俗店の情報を教わることが多々ありました。
HPのプロフィールに好きな食べ物を書いておけば、お土産に買ってきてくれる優しいお客様もいます。
本番強要が激しく、不快な気持ちにさせられることもありましたが、優しいお客様やおもしろいお客様に出会うと、また頑張ろうと前向きな気持ちにさせられていました。
ナイトワークでの働き方と収入について
大学生の頃は授業やサークル活動の関係で、風俗店やキャバクラへの出勤日数は週3〜4日程度でした。ナイトワークを始めてからいくつかのお店を転々としていましたが、働いたお店の種類は主にホテルヘルスやデリヘル、キャバクラです。
ヘルスで働くときは、60分の給料が1万円以上を選択し、1日3〜5万円の収入を保つようにしていました。
風俗店は完全自由出勤でスケジュールに合わせて働けるので、生理や大学の期末テストがある時期は1〜3週間お店を休み、ほとんど出勤しないこともありました。
ただ期末テスト期間以外は月収40万円以上をキープしていたので、テスト期間中に働かなくても生活に影響はありませんでした。何もない時期はしっかり稼ぎ、生理やテスト期間中は十分な休みを取れるのは風俗の良いところです。
キャバクラで働いていたときは、時給4,000円のお店でした。キャバクラは女の子同士で売上を比較されることが多く、同伴や指名が少ない日は黒服から「ちゃんとお客様に連絡してる?」と聞かれるので、風俗に比べるとお客様へしっかりと営業しなければいけません。
キャバクラでも週4日働けば、時給と歩合を合わせて40万円以上稼げます。
風俗のように1日に何度もお風呂に入る必要がないため、肌が乾燥することはありません。また、キャバクラでは可愛いドレスを着て、ヘアセットをしてもらうので、風俗に比べると美意識が上がります。
しかし、キャバクラでは二日酔いになることが多く、大学のテスト期間中でも出勤しなければいけなかったので、大学生をしながら働くには風俗のほうが向いていました。
ナイトワークをして一般的な大学生よりも稼いでいたため、生活費や学費を稼ぎながらも自分がやりたいことにお金を使うことができました。
風俗やキャバクラで稼いだお金を使って、インドやネパールへ旅に行き、日本では見ることができないほど貧困な状況で暮らす人々を目の当たりにしました。
その他にも美容が大好きだったため、50万円のエステコースを契約し、毎週エステに通っていました。自分がやりたいと思ったことをすぐに叶えられるのは、ナイトワークをするメリットです。
風俗で出会った良客・太客エピソード
ナイトワークを続けていると、男性としてもお客様としても素敵な男性に出会うことがあります。
東京のヘルスで働いていたときは、「自分が好きな女の子には良いものを身につけてほしい」と、プレゼントをたくさんくれるお客さんに出会いました。
私が勤めていたお店では1日分の料金を支払えば、女の子を外に連れ出すことができたので、週1で通ってくれる本指名のお客様が、8時間分を買い取ってくれることが何度かありました。
お店でお客さんと待ち合わせをして、レストランで食事や百貨店へ買い物に連れて行ってくれます。
「好きなお店で洋服を買っていいよ」「バレンシアガのバッグはどう?」と言い、高級ブランドのものをプレゼントしてくれました。帰りにはスパへ連れて行ってもらい、接客をして癒すどころか私が日々の疲れを癒してもらっていました。
風俗店では本番強要がひどくて辛い思いをすることがありますが、ときどき良客や太客と呼ばれる女の子にとって最高なお客さんもいるのです。
綾瀬スミレが考えるナイトワークのおもしろさって?
ナイトワークのおもしろさは、お金です。
お金のためにナイトワークを始めたのもありますが、働けば働くほど増える貯金額を見るのが楽しみになっていました。
風俗店では本指名本数が増えればランキングが上がり、お客さん一人当たりの収入が増えます。
キャバクラでは本指名や売上金額に応じて、女の子の収入がどんどん伸びていきます。
通常のアルバイトや会社員では、なかなかナイトワークのように収入を伸ばすことができないので、風俗やキャバクラではお金を稼いでお給料をもらったときに金額を知るのが楽しみでした。
ナイトワークを卒業したきっかけ
ナイトワークをやめたきっかけは子どもができたことでした。
保育園に預けられる時間帯に働く必要があったので、ヘルスで働く時間帯が11時〜17時になりました。
昼間の時間帯でも一般的な仕事に比べて高収入を得られましたが、夕方〜深夜の半分ぐらいの給料になってしまいました。給料が下がったことで、昼職でしっかり稼げるように頑張ろうと思うようになり、ナイトワークを辞める決意をしました。
しばらくは現在のライターの仕事とナイトワークを掛け持ちしていましたが、ライターの仕事だけで生計を立てられるようになったのでナイトワークを卒業しました。
ナイトワークで働いた10年で得たもの
18歳でナイトワークを始めてから辞めるまでの10年間で良かったことは、私生活では出会えないような人に出会えたことです。
誰もが知っているような大企業の社長さんやスポーツ選手、医師など知見が広く成功している男性に出会えました。高級レストランやホテルに連れて行ってくれたこと、ビジネスについて教えてもらったことで私の世界は広がり、今の仕事に活きています。
ライターの仕事を始めたきっかけは、パソコン1つで仕事が完結し、旅先でも仕事ができるようになりたいという思いからです。
ライターで生計を立てられるようになった今、次の夢は子どもと海外移住をすることです。